ここではトゥインサーフィンの生みの親とも言われるレイアード・ハミルトンの生い立ちやキャリア、そして自身のサーファー人生を描いたドキュメンタリー映画についてご紹介していきます。トゥインサーフィンというのは、人の力だけでは乗ることが不可能なビッグウェーブに対抗するために開発されたサーフィンのスタイルです。
その先駆者とされるレイアード・ハミルトンのこれまでの活動をまとめましたので、どうぞご覧ください。
レイアード・ハミルトンはトゥインサーフィンの先駆者
現在では一般的になっているトゥインサーフィンという手法ですが、これは1990年代初頭にレイアード・ハミルトンによって生み出されたものです。トゥインサーフィンというのは、大きな波が来そうな(もしくは来ている)沖合いまで動力付きのボートなどで牽引してもらい、そのスピードを活かしたまま波に突っ込んでいくというサーフスタイルのことです。
通常のパドリングのパワーでは乗れないビッグウェーブにも、動力で牽引されたスピードを利用することで乗りこなせるようになるというのがトゥインサーフィンの理論となります。
なお、レイアード・ハミルトンはまだトゥインサーフィンというものが確立されていない時代に、動力付きのゴムボートを使って70フィートというビッグウェーブに挑戦し成功を収めています。
当時では無謀すぎるチャレンジと思われていましたが、これが成功したおかげで今でもレイアード・ハミルトンがトゥインサーフィンの先駆者と言われているわけです。
レイアード・ハミルトンの生い立ちとキャリア
レイアード・ハミルトンというのは少し複雑な生い立ちを持っています。そんな彼の生い立ちをサーフィンのキャリアと一緒にご紹介していきましょう。
生い立ち
レイアード・ハミルトンは1964年3月2日にサンフランシスコで生まれました。しかし、彼が1歳になる前に父親はいなくなり、母親ひとりだけで育てられることとなっています。
そしてレイアード・ハミルトンがまだ幼児だったころに母親はハワイへと移住することを決意。オワフ島で育ったレイアード・ハミルトンはサーフィンを通じて、当時ハワイで有名なサーファーだったビル・ハミルトンと出会います。
ビル・ハミルトンはシングルマザーだったレイアード・ハミルトンの母親と結婚。その後、異父兄弟であるリヨンが生まれます。兄弟仲は悪くなかったものの、当時レイアード・ハミルトンはオワフ島において珍しいアメリカ本土の白人種だったため、現地の子供たちからイジメのようなものを受けていました。
そんな中で培われたのが周りの人間に対する反骨心だったのですが、こうしたメンタル力は彼のサーフィンのキャリアにも影響を与えています。
サーフィンのキャリア
レイアード・ハミルトンは17歳ごろまでの間に、誰もが認めるほど熟練したサーフィンの腕前を持つようになりました。しかし、その技術をプロのコンテストなどに活かすことには否定的な態度を取っています。(これは彼の養父となったビル・ハミルトンの影響もあったようです)
そんなレイアード・ハミルトンが興味を持っていたのは、それまでになかったサーフィンスタイルの確立です。レイアード・ハミルトンは前述のようにトゥインサーフィンという手法や、カイトサーフィンの原型のようなスタイルにもチャレンジをしていきました。
ちなみに、その中には現代でもよく見られるリアルなサーフィン映像の撮影も含まれていたのですが、そうした活動がのちのドキュメンタリー映画出演にも繋がってくるわけです。
レイアード・ハミルトンのドキュメンタリー映画
タイトルは「テイク・エブリ・ウェーブ:ザ・ライフ・オブ・レイアード・ハミルトン」で、彼の半生を描いた内容となっています。
映画の中ではこれまでに挑戦した世界のビッグウェーブにまつわる話やトゥインサーフィンの本質などについて語られていますので、ぜひ興味がある方は一度ご覧になってみてください。
まとめ
レイアード・ハミルトンは、時には大きなケガをするリスクも省みず世界中のビッグウェーブを攻略し続けている伝説的なサーファーです。
そんな彼の生い立ちやキャリアをご紹介してきましたが、さらに詳しい偉業についてはぜひ映画を見てチェックしてみてください。