いまや日本でも子供から大人までが楽しむマリンスポーツのサーフィンですが、その起源やルーツというものがおよそ1600年以上前にも遡ることをご存知でしょうか?
サーフィンは元々、漁をおこなう際の手段だったともされていますが、その漁から派生してスポーツ化していったという経緯があり、人間と海の関係性を知るうえでも重要なトピックのひとつです。
ここでは、そんなサーフィンの歴史についてご紹介しながら、どのようにサーフィンが発展していったのかをご覧いただけます。
きっと、これまでに知らなかった歴史的背景などもあるかと思いますので、ぜひサーファーの方や海好きの方はご覧になってみてください。
まずはサーフィンの歴史の流れがわかるこちらの動画を紹介
サーフィンの歴史
サーフィンの歴史を古代ポリネシア編と近代編に分けて解説します。
古代ポリネシア編
サーフィンの原型とも言える「波乗りの技術」というのは、古代ポリネシア人によって少なくとも西暦400年頃から一般的に使われていたとされています。
漁をしにカヌーを使って沖にまで出た古代ポリネシア人は、海流の違いを読み、陸地へと向かう流れの際にその波に乗って漁から帰ってきていたようです。
そもそも古代ポリネシア人というのは航海技術に長けた民族であり、航海用の地図はもちろんのこと、方位磁針などもない時代から太平洋を渡って拠点を変えてきたという特徴があります。(元々はユーラシア大陸や台湾に住んでいた民族が、インドネシアやオーストラリアまで渡り、そこからミクロネシアや現ポリネシア海域まで派生していったというのが史実です)
そのため、海の流れを読み取る力は非常に高いものとされ、現在のサーフィンのように波のパワーで沖から陸に戻るといった行為くらいは簡単にできたのでしょう。
そして、単純に漁のために使っていたその波乗り技術が、一般的な娯楽となっていったものがサーフィンの原型とされています。
このサーフィンの原型というのは、ポリネシア海域に派生してった古代ポリネシア人の間で同時多発的におこなわれるようになり、次第にカヌーからもっと小型の乗り物やボードへと変わっていったようです。
なお、この古代ポリネシア人のサーフィン的行為というのは東のイースター島、西のニューギニア、北のハワイ、南のニュージーランドといった場所でおこなわれていて、現在サーフィンのメッカとして知られる海域の大半で普及していきました。
その後、このポリネシア海域における波乗りというものは現在のサーフィンへと姿を変えていき、庶民にとっての一般的な娯楽となっていったのですが、ヨーロッパ諸国からの侵攻を受けてサーフィン文化というのが禁止されるようになっていきます。
これは、クック船長という名前でも知られるイギリスの海軍士官「ジェームズ・クック」が、ハワイやタヒチでサーフィンをしている民族を発見して、その島々に人々が流入するようになってしまったのがきっかけとされています。
こうして1700年代半ばから1800年代にかけて、キリスト教をはじめとする西洋文化がポリネシア民族を縛り付けた結果、サーフィンの歴史と広がりというのは縮小傾向になっていってしまったというわけです。
近代編
西暦400年頃から1700年代まで続いたサーフィン文化ですが、西洋文化が小さな島々にまで侵攻した結果、大きな歴史の中では百数十年ほど禁止されるようになってしまいました。
しかし、この禁止令を残り超えて、もう一度サーフィンがブームとなるきっかけを与えたのが1900年代初頭におけるハワイでのサーフ活動です。
現在、世界の中でもサーフィンのメッカとしてもっとも知られるハワイですが、こうした歴史的な背景からも親しまれているということになるわけです。
ただ、何故いきなりハワイでサーフィンが出来るようになったのかというのが気になるところだと思います。
これにはいくつかの説があるのですが、ひとつは海難事故を防ぐためにサーフィンの技術(ライフセーバーとしての役割)が見直された結果という意見があり、もうひとつにはハワイ出身の「デューク・カハナモク」の功績が大きかったからという説があります。
「デューク・カハナモク」というのは1890年にハワイ・ホノルルで生まれた「近代サーフィの父」と呼ばれる人物です。1912年のアメリカ代表として出場したストックホルムオリンピックで、水泳100メートル自由形にて世界記録を達成。
以後、17年間世界王者に君臨した伝説的なスイマーであり、そしてサーフィンの素晴らしさを世界に広めたのがこの「デューク・カハナモク」です。
水泳の世界王者として各国に招待されることとなったデューク・カハナモクは、そのいろいろな土地でエキシビジョンのサーフィンを披露し魅力を伝えることに尽力しました。
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とりわけ、オーストラリア・シドニーでサーフィンを披露した際には、オーストラリア人からの多大な賞賛を受けることとなり、オーストラリアにサーフィン文化を根付かせるきっかけを作ったとされています。
こうして、サーフィンは次第に世界中で親しまれるスポーツとなっていき、アメリカ本土でもそのブームに火が付いた結果、カリフォルニアなど多くの地域でおこなわれるようなっていったというわけです。
日本のサーフィンの歴史
1900年代初頭から世界中でおこなわれるようになったサーフィンですが、日本にそのブームがやって来たのは第二次世界大戦後とされています。
これは戦後、日本の神奈川県湘南エリアに駐留していた米兵を含むアメリカ人たちが、神奈川や千葉の海でサーフィンを楽しんでいたことに由来し、その姿を見た日本人がマネをしてサーフィンを始めたというのが日本におけるサーフィンのルーツとなっています。
特に鎌倉・茅ヶ崎あたりの湘南と呼ばれる地域では、サーフィンへの注目度が高く、1960年代頃から若者を中心にサーフィンをする人々が増えて、一種のブームともなりました。
こうした流れの中、日本でもサーフィンが一般化していき、現在の日本サーフィン協会なる組織も発足されて、一躍メジャーな競技へと発展していきます。
そして、1970~1980年代になると、「サーファー=カッコいい」というイメージも付くようになり、湘南エリアではサーファーが急増。こうして、サーフィン人口が増えていき、現在における日本のサーフィン文化というものが構築されていくようになったというわけです。
ちなみに、日本はハワイなどと同じ島国ということもあり、国内のいろいろな場所でサーフィンが楽しめるというのも広く普及していった理由のひとつとされています。
特に千葉県や宮崎県といった太平洋側からの波を受けるサーフポイントは、海外からも多くのサーファーが訪れるエリアで、近年ではサーフィンの世界大会がおこなわれるまでに発展しています。
サーフィンの歴史をチェック
ご覧いただいてきたように、サーフィンが西暦400年頃から現在に至るまで、およそ1600年以上も続いているということはなかなか驚きの史実でした。
しかし、いつの時代も波に乗る魅力というのは同じで、人間に感動や興奮を与えてくれるスポーツがサーフィンなのだと感じられます。