カリスマロングボーダー『ジョエル・チューダー』のキャリア&人物像
Joel Tudor

1970年代にショートボードが普及してからサーフシーンは大きく変化し、アグレッシブなハイパフォーマンスのサーフィンが主流になり現在もその流れは続いています。

ロングボードもその影響を受けて、重みのあるサーフボードでノーズライディング中心の伝統的なスタイルが「クラシック系」と呼ばれ、ノーズライディングに加えてショートボードのようなマニューバーも取り入れるスタイルを「ハイパフォーマンス系」として分類されるようになりました。

サーフィン界にはレジェンドと言われる人物が存在しますが、ショートボード界においてはジェリー・ロペスをはじめ、ケリースレーターやミックファニング 、ロブマチャド、そしてロングボード界において第一に名前が挙がるの間違いなくジョエル・チューダーでしょう。

ジョエルは1990年代のハイパフォーマンス全盛期に伝統的な重いサーフボードのシングルフィンを華麗に操り、人々を魅了しました。ASP(現WSL)で2度の世界チャンピオンに輝くもその後は独自の道を進みます。

本記事では改めてジョエル・チューダーのキャリアや人物像について紹介していきます。

ジョエル・チューダーとは?

ジョエル・チューダーは1990年代〜2000年代半ばに世界的に活躍をしたプロサーファーです。現在は世界各国でロングボードの大会(ダクトテープ)を開催するプロモーターとしても活動しています。ジョエルは幼いころからサーフィンをしていましたが、10歳のころにショートボードからロングボードを選び、それ以来ロングボードでサーフィンと向き合っています。

なお、当時はショートボードが全盛の時代であり、ジョエルのようにロングボードを選ぶサーファーは非常に少数派だったといわれています。ジョエルはそのロングボードにおけるレトロなスピリッツを好み、かつてのサーフィンにおける偉人たちの精神性を世界に広めた偉大な人物です。

サーフィンのコンテストでほとんど緊張をすることはなく、結果はただの付録にすぎないというのがジョエルのモットーでもあります。なお、そんな彼が唯一ナーバスになったというのがハワイのパイプラインでの大会だったそうです。

ただし、それは結果を求めるための緊張感ではなく、サーフィンの聖地ともいわれるハワイのパイプラインで実際に波に乗るという厳かな気持ちからだったとも語っています。ジョエルは、最近の競技志向のサーフィンよりも自由なサーフィンを好み、レトロな感覚を大切にしています。そんな彼が実際に残してきた実績を次にご覧いただきましょう。

ジョエル・チューダーのキャリア

ジョエル・チューダーは、1976年6月11日生まれの現在43歳です。(2019年時点)

アメリカのカリフォルニア州サンディエゴで誕生し、5歳からサーフィンを始めたといいます。そして先ほども触れましたが、最初は周りと同じようにショートボードを使っていたそうです。徐々にロングボードに秘められたレトロなカルチャーを好むようになっていき、10歳からはロングボード一筋のサーファーを目指します。

そこにはドナルド・タカヤマやナットヤングといった偉大なる先人たちが影響を与えていて、ジョエルは彼らと行動を共にすることで忘れかけられていたロングボードカルチャーを残そうと考えたそうです。なお、彼のサーフィンの先生はサーファーだった父親と兄で、父親はスポンサードを受けるほどのサーファーだったといいます。

ただし、父親は特にジョエルに対してサーフィンを無理強いすることはなかったそうで、その教えを自分の子供にも与えているといいます。その後、10代前半から世界的にもそのテクニックが認められるようになったジョエルは、14歳でプロデビューを果たし、そこから一気にプロサーファーとして頭角を現していきました。

なお、プロデビュー後の翌年、15歳でASPで優勝を果たしています。そんなジョエルは、1998年・2004年の2回に渡ってASPのツアーでチャンピオンに輝いています。

しかし、ジョエルはこのロングボードの世界で2度のチャンピオンに輝いたあとから、そこまで大会に固執することがなくなります。というのもジョエルは「いい波に美しく乗りたい」という気持ちが強く、そこに勝敗がつくことにあまり興味がなかったからです。

さらにロングボードコンテストを伝統的なシングルフィンのスタイルにフォーマット化するべきというジョエルの主張とは反対に進むASPとの食い違いもあり、ASPのコンテストを離れることになります。そんなジョエルが次にはじめたのが柔術でした。

ジョエル・チューダーと柔術

ブラジリアン柔術をはじめたジョエル・チューダーは、その後黒帯を取得するまでに熱中します。現在、彼はアメリカに柔術のジムを開いているのですが、このジムはなんとアメリカでもっとも大きなジムにまで成長し、ジョエルは柔術の世界でも大きな成功を成し遂げることになります。

そんなジョエルが柔術をはじめたきっかけというのは強さではなく「健康的な生活を求めて」とのことです。ちなみにジムに関してはジョエル曰く、ライフスタイルや健康維持を目的としたジムにしたかったと語っています。

もともと健康志向の強かったジョエルは、サーフィンだけで得られる健康的な体には限界があると感じていたそうで、ジムを開設したのも不健康なサーファーを多く見てきたからとも語っていました。また、ジョエルは柔術のほかにもヨガを習い、さらには大人になってからベジタリアンになったという稀有な人物です。

ただし、それはすべてパイプラインやほかの世界中のビッグウェーブに乗るために、体を正しく整えておきたいという彼自身のサーフィンへの情熱からきています。こうしたサーフィンに対しての真摯な姿勢・取り組み方というのも、ジョエルの性格を表しているといえるでしょう。

ジョエル・チューダーのダクトテープ

ジョエル・チューダーはVANSをスポンサーとして、2010年からクラシックロングボードのコンテストを開催しています。そのコンテストはシングルフィン、ノーリーシュ、ノーインターフェアといったオリジナルのルールを採用していて、参加者はすべて招待制です。

これまで世界中でコンテストがおこなわれてきましたが、2019年の11月には日本の鵠沼海岸でも開催されました。なお、そのコンテストには日本人ロングボーダーの瀬筒雄太、宮内謙至、新城譲、吉川広夏が参加しています。

鵠沼海岸で開催されたダクトテープでのジョエル・チューダーのインタビュー記事はこちら

ジョエルチューダー《独占インタビュー》|ダクトテープ日本開催の経緯やロングボードの未来を語る

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