多大なる功績を残した人物に光を当てる【サーフィンレジェンド特集】。今回は「エディ・アイカウ」。ハワイでは近代サーフィンの父「デューク・カハナモク」に次ぐ人物でエディの生き方を称えたフレーズ「Eddie would go(エディなら行くぜ)」は今なお多くの人を勇気付けている。「エディ・アイカウ」の生涯と伝説、彼が人々に残したものを紹介する。
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エディ・アイカウはビッグウェーブサーファー
1946年ハワイ・マウイ島でカメハメハ王朝の神官の家系に生まれたエディ・アイカウ。幼い頃からサーフィンに熱中して当時流行していたオアフ島ノースショアのビッグウェーブサーフィンにのめり込む。エディはどんなに大きな波にも恐れず立ち向かい約40フィート(12メートル)のライディングにも成功している。数々のサーフィン大会にも出場して功績を残し一流サーファーとして名を馳せていった。
ライフガードとしてのエディ・アイカウ
その能力を評価されたエディはノースショアのライフガードにスカウトされて初代ライフガードに任命される。危険な大波に挑むサーファー達の命を救うことに尽力する。当時は現代のように水上バイクでの救助ではなく足ヒレとボードだけで命がけの人命救助であったが約10年間務め、死者を出すことはなかった。
エディ・アイカウの”死”
1978年突如として死が訪れる。ポリネシア伝統のカヌー船「ホクレア号」でタヒチへ向かう航海にクルーとして乗り込んだエディ。出港して6時間後に船が転覆して全員が海へ放り出される。カヌーにしがみつき救助を待つことになるが広い海で発見される可能性は低く、エディは船に積んであったサーフボードで近くの島を目指して救助要請をすることを提案。船長の反対を押し切り全員の命を救うため荒れ狂う海に飛び出した。その後転覆した船は奇跡的に民間機に発見され全員が救助されるがエディが発見されることはなかった。
エディ・アイカウが残したもの
「Eddie would go(エディなら行くぜ)」彼の死後、このようなフレーズが生まれハワイの人々は何かに迷ったり困難な局面にあったりしたときにこの言葉を口ずんだ。ビッグウェーブに挑む姿、人命救助のため荒波に挑む姿、その生き方は死後もなお多くの人々を勇気付けている。
そしてハワイノースショアのワイメアベイビーチパークには彼の記念碑があり、波のサイズが約20フィート(約6m)以上にならないと開催されない伝説のコンテスト「クイックシルバー・イン・メモリー・オブ・エディ・アイカウ」通称「The EDDIE」)がそこで行われる。
最後にエディ・アイカウの功績を称えた動画を紹介する。映像にはサーフィンをしている姿も含まれている。
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