海の灘とは?湾との違いや日本の灘について

この記事では海における「灘の意味」や「湾との違い」について詳しい解説をおこなっていきます。

地図を見ていると目にすることもある「灘」という文字ですが、本来どういった意味を持っているのか知っている方は少ないかもしれません。

また、場所によっては〇〇灘と〇〇湾という2つの表記がされている海域もあります。

ここでは、そんな「灘」や「湾」に関する情報を分かりやすくご紹介していますので、ぜひ最後までご覧になっていってください。

海の灘とは?

「灘」とは潮流が激しく航行が難しい海域を指す言葉です。

日本では昔から使われてきている言葉ですが、その定義は曖昧であり、どういった場所を正式に灘と呼称するかは明確に決まっていません。

また、海には陸上のように目印となる線がないため、どこからどこまでを〇〇灘とするのか?についても実は不明瞭です。

現在の地図に載っているような灘でも、昔の人の「〇〇島から〇〇島までの間は船で行き来するのが難しい」という感覚的な部分を頼りに名付けられた海域はあります。

ちなみに英語圏には「灘」を表現する言葉がなく、ただ「sea」もしくは「an open sea」と訳されるようです。

そんな灘という言葉は、波が荒く船の航行が困難な海域以外にもその周辺沿岸部を指すことがあります。

つまり荒れた海域より陸地に近い沖合自体も灘と表現することがあるわけですが、こうした部分も曖昧さに拍車をかける部分と言えそうです。

ここで少し「灘」という言葉を歴史的にひも解いていきますが、明治より前の時代では灘以外に「津」「湊」「潟」といった言葉も使われていました。

本来これらはすべて波の荒い海域や水域を指す言葉です。

こうしたことを踏まえると、やはり「灘=波が荒くなりやすい海域」と認識して問題ないと言えるでしょう。

なお、日本で灘と表記される海域は主に太平洋側にあり、この後にご紹介する海上保安庁の水路図に記載されている灘も大半が太平洋側となっています。

また、東北地方より北側には灘と呼ばれる海域がないところも特徴のひとつです。

灘と湾の違い

ここからは灘と同じく海域に使われる言葉「湾」との違いについて解説していきましょう。

「湾」というのは沿岸部が円弧状になっている地域や海域を指す言葉です。

対して灘は島と島との間の海域などにも使われる言葉なので、湾よりも広いエリアを指すことになります。

また、湾は「湾口」の直径を半円とした場合、奥行きの方が長くなる海域で使われる言葉です。

つまり海を抱えている面積が多い海域が「湾」と呼ばれるわけです。

ちなみに「灘」の場合は広い海域を指す言葉なので、四方を見ても陸地がほとんどない場所もあります。

「湾」の場合は弓なりに海岸が続いているため、海から見たときでも視界のどこかには陸地が見えるものと考えられます。

このあたりも灘と湾の違いと言えるでしょう。

そして、湾には灘の定義とされる「波が荒く航行が困難な海域」といったニュアンスが必ずしも含まれるわけではありません。(含まれる湾もある)

東京湾や大阪湾など波が穏やかで多くの船が行き交うところがあるのも灘と湾の大きな違いです。

このように灘と湾には色々な違いがありますが、中には「相模灘」と「相模湾」といった形で2つが重なる海域もあります。

そのため、灘と湾を完全に別物と考えることは出来ないといった部分も覚えておきましょう。

日本にある灘

四方を海で囲まれた日本には様々な灘があります。

その中で海上保安庁の水路図に記載されているものは全部で14ヵ所です。

・鹿島灘:茨城県大洗岬から利根川河口までの沖合
・相模灘:神奈川県三浦半島の剱埼から静岡県伊豆半島の石廊崎までの沖合と伊豆大島の間の海域
・遠州灘:静岡県御前埼から愛知県伊良湖岬までの沖合海域
・熊野灘:三重県大王埼から和歌山県潮岬の沖合海域
・播磨灘:東は兵庫県淡路島、西は香川県小豆島、北は本州、南は四国で囲まれた海域
・備後灘;東は備讃瀬戸、西は三原瀬戸、北は本州、南は香川県三崎、江ノ島、魚島、高井神島、愛媛県弓削島を繋ぐ線で囲まれた海域
・燧灘:北は備後灘、南と東は四国、西は来島海峡と三原瀬戸で囲まれた海域
・安芸灘:東は三原瀬戸諸島および来島海峡、西と北は本州、南は愛媛県松山、中島、山口県屋代島、大畠瀬戸を繋ぐ線で囲まれた海域
・周防灘:東は山口県長島、祝島、大分県姫島を繋ぐ線、西は関門海峡、北は本州、南は九州で囲まれた海域
・伊予灘:東は四国、西は九州、北は安芸灘から周防灘、南は豊後水道で囲まれた海域
・響灘:東は本州から山口県角島、西は福岡県鐘ノ岬から地ノ島~大島を繋ぐ線、南は関門海峡および九州で囲まれた沖合海域
・玄界灘:東は響灘、西は壱岐水道から対馬海峡、南は九州で囲まれた沖合海域
・天草灘:東は熊本県天草下島、西は男女群島、北は長崎県野母埼から五島列島南端、南は甑島で囲まれた海域
・日向灘:宮崎県都井岬から鶴御埼までの沖合海域

日本には上記の14ヵ所以外にも灘と表記される海域があり、たとえば長崎県の五島列島付近の「五島灘」やそれに含まれる「角力灘」などが代表的な例に挙げられます。

また、和歌山県の沖合には「紀州灘」と呼ばれる海域もあるわけですが、先ほども触れたように灘と指定されている海域は曖昧であり、明確な境界線が引かれているわけではありません。

ローカルな場所であれば地元の方が認識する灘もあるかと思いますので、その点は理解しておきましょう。

参考:https://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/SODAN/faq/what_is_nada.htm

日本の灘の特徴や雑学

それでは最後に日本の主な灘の特徴やそれぞれの灘にまつわる雑学をご紹介していきます。

〇鹿島灘
灘と名前が付く海域では国内でもっとも東に位置するのが鹿島灘。
太平洋側から流入する黒潮と三陸沖から流入する親潮がぶつかる潮目であり、水産資源が豊富な海域として知られる。

〇相模灘
相模湾を抱えるようにして形成される灘で面積が非常に広い。
ツチクジラやマッコウクジラ、ハンドウイルカなどが頻繁に観察される。
かつて昭和の時代は静岡県伊東市で年間1万頭以上のマダライルカなどが水揚げされていた。

〇播磨灘
面積が2500㎢と非常に広い。
地域の名産品でもあるイカナゴの漁場として有名だが、海砂の採取によりその漁獲量が減産している。

〇伊予灘
日本一海に近い駅と言われる「下灘駅」のホームから望めるのが伊予灘。
「伊予灘ものがたり」という観光列車が走るなど、地域に根付いた名称となっている。

〇響灘
島根県江津市の鳥屋鼻から山口県見島〜沖ノ島の間に基線が設定されていて、これより南東側が日本の内海とみなされる。
そのため、響灘が広がる海域の大部分が日本の内海および領海となっている。

〇玄界灘
1905年、日本軍がロシア帝国のバルチック艦隊と海戦した場所として有名。
その影響により昭和の時代は軍歌や小説などに「玄界灘」という言葉が使われることもあった。
なお、世界の中でも有数の漁場として知られる。

まとめ

波が荒く船の行き来が困難な海域を指す「灘」という言葉について詳しく解説してきました。

ご覧いただいたように四方を海で囲まれた日本には様々な「灘」があります。

灘の定義は明確に決まっていないため時代と共に呼称が変わることもあり得るわけですが、現在のところ海上保安庁の水路図に掲載されている「灘」は14ヵ所なので、その点はぜひ覚えておいてください。

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